都都古和氣神社
都都古和氣神社とは
都都古和氣神社は、棚倉町八槻地区にある同名の神社と区別して「馬場都都古和氣神社」とも「上之宮」とも呼ばれる神社です。
社伝によると、景行天皇の御代に日本武尊が東北を訪れた際、都都古和気神こと味耜高彦根命を地主神として都々古山(白河市の建鉾山)に鉾を立てて祀ったのがはじまりとされています。
その後、坂上田村麻呂社殿を造営して日本武尊を配祀し、さらに江戸時代の棚倉城建設に伴い、現在地に奉遷されたといわれています。
一の宮とは
「一の宮」とは、かつての令制国(たとえば、都都古和氣神社の場合は「陸奥国」がそれにあたる。)のなかで、もっとも社格が高いと一般に見られていた神社のことをいいます。
京都から地方の国府に赴任してきた国司の大切な仕事として、国内の主だった神社を巡回して幣帛を捧げる「国司巡拝」がありました。
平安時代以降、この国府からの巡拝の順番を「一の宮」「二の宮」「三の宮」と表したことによって、「一の宮」ということばが生まれたとされています。
巡拝の風習が廃れて以降も、「一の宮」ということば自体は残りましたが、その後の国府の移転や在地豪族の勢力関係などによって、「一の宮」と目される神社が、時代によって変遷することもしばしばありました。
都都古和氣神社の所在地や地図、連絡先などは次のとおりです。
右下のロゴをクリックすると大きな地図に遷移します。
名称 | 都都古和氣神社(馬場) |
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読み仮名 | つつこわけじんじゃ |
主祭神 | 味耜高彦根命 | 旧社格 | 国幣中社 |
郵便番号 | 963-6131 |
所在地 | 福島県棚倉町棚倉馬場39 |
電話番号 | 0247-33-7219 |
ホームページ | [リンクをクリック] リンク先ホームページがある場合には、それぞれの神社の由緒のほか、授与品や御朱印の取扱い、駐車場や交通アクセス、初詣や七五三、例大祭をはじめとする各種行事の案内、行事の際の交通規制の情報などが掲載されていることがあります。 |
交通手段 | JR水郡線磐城棚倉駅から徒歩約10分 |
備考 |
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旧社格とは
「社格」というのは、神社の等級を表したものですが、7世紀後半、特に天武天皇の時代を画期として、「官社制」とよばれる制度が導入され、諸国の神社は国家による統制を受けるようになります。
明治以前の社格を大まかに分類すれば、中央の神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、地方の国司から幣帛を受ける「国幣社」からなっていました。
こうした神社の名前と社格のリストが平安初期の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』のなかに含まれており(「神名帳」)、リストに掲載された神社を「式内社」と呼ぶこともあります。
いっぽう、王政復古が成った明治時代に入ると、国では延喜の古制をもとにして、新しい社格制度を模索するようになります。
その結果、明治4年に太政官布告として制定されたものが、「近代社格制度」と呼ばれ、戦後は公式には廃止されているものの、今でも神社の格式を表すのに「旧社格」として用いられることがあります。
近代社格制度では、国内の神社は大きく「官社」(官幣社、国幣社)、「諸社」(府・県社、郷社、村社)、「無格社」に色分けされており、基本的に「官幣社」は「国幣社」より格上とされ、また「官社」のなかでも「官幣大社」、「官幣中社」、「官幣小社」のような大・中・小のランクがありました。
都都古和氣神社の場合は、この旧社格(近代社格)でいうところの「国幣中社」にあたっています。
なお、伊勢神宮は国家の宗廟として、この社格制度の対象外とされているほか、国家の忠臣などを祀る「別格官幣社」とよばれる特殊な神社(たとえば、楠木正行を祀る大阪府四條畷市の四條畷神社および北畠親房、北畠顕家ほかを祀る福島県伊達市の霊山神社など)もありました。