鳥海山大物忌神社

鳥海山大物忌神社

鳥海山大物忌神社とは

鳥海山大物忌神社は、東北の日本海側にそびえる鳥海山を神体山とする神社です。
鳥海山は古代には活火山としてしばしば噴火して甚大な被害をもたらしたことから、これをなだめるために朝廷からの神階授与などがたびたび行われています。
鳥海山の山頂に鳥海山大物忌神社の本殿があり、山麓の里宮として吹浦口ノ宮と蕨岡口ノ宮があります。
かつては「鳥海山大権現」と称し、この地方の山岳信仰の中心として社僧が奉仕を行っていましたが、明治時代の神仏分離令で神社となりました。


一の宮とは

「一の宮」とは、かつての令制国(たとえば、鳥海山大物忌神社の場合は「出羽国」がそれにあたる。)のなかで、もっとも社格が高いと一般に見られていた神社のことをいいます。
京都から地方の国府に赴任してきた国司の大切な仕事として、国内の主だった神社を巡回して幣帛を捧げる「国司巡拝」がありました。
平安時代以降、この国府からの巡拝の順番を「一の宮」「二の宮」「三の宮」と表したことによって、「一の宮」ということばが生まれたとされています。
巡拝の風習が廃れて以降も、「一の宮」ということば自体は残りましたが、その後の国府の移転や在地豪族の勢力関係などによって、「一の宮」と目される神社が、時代によって変遷することもしばしばありました。


鳥海山大物忌神社の所在地や地図、連絡先などは次のとおりです。

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名称 鳥海山大物忌神社(本社)
読み仮名 ちょうかいさんおおものいみじんじゃほんしゃ
主祭神 大物忌神
旧社格 国幣中社
郵便番号 999-8521
所在地 山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字鳥海山1
電話番号  
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交通手段  
備考  

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旧社格とは

「社格」というのは、神社の等級を表したものですが、7世紀後半、特に天武天皇の時代を画期として、「官社制」とよばれる制度が導入され、諸国の神社は国家による統制を受けるようになります。
明治以前の社格を大まかに分類すれば、中央の神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、地方の国司から幣帛を受ける「国幣社」からなっていました。
こうした神社の名前と社格のリストが平安初期の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』のなかに含まれており(「神名帳」)、リストに掲載された神社を「式内社」と呼ぶこともあります。

いっぽう、王政復古が成った明治時代に入ると、国では延喜の古制をもとにして、新しい社格制度を模索するようになります。
その結果、明治4年に太政官布告として制定されたものが、「近代社格制度」と呼ばれ、戦後は公式には廃止されているものの、今でも神社の格式を表すのに「旧社格」として用いられることがあります。

近代社格制度では、国内の神社は大きく「官社」(官幣社、国幣社)、「諸社」(府・県社、郷社、村社)、「無格社」に色分けされており、基本的に「官幣社」は「国幣社」より格上とされ、また「官社」のなかでも「官幣大社」、「官幣中社」、「官幣小社」のような大・中・小のランクがありました。
鳥海山大物忌神社の場合は、この旧社格(近代社格)でいうところの「国幣中社」にあたっています。

なお、伊勢神宮は国家の宗廟として、この社格制度の対象外とされているほか、国家の忠臣などを祀る「別格官幣社」とよばれる特殊な神社(たとえば、藤原秀郷を祀る栃木県佐野市の唐沢山神社および藤原鎌足を祀る奈良県桜井市の談山神社など)もありました。