気多神社

気多神社

気多神社とは

気多神社は、古くから信仰の山として知られた二上山の西麓に位置する神社で、社伝によれば、養老2年(718年)に能登国の気多大社から勧請されたものといわれています。
もっとも、天平宝字元年(757年)に越中国と能登国が分かれるにあたって、気多大社から勧請されて創建されたという説もあります。
気多神社が鎮座している伏木地区は、かつて越中国府や国分寺が置かれていたところであり、境内には越中国総社跡の伝承地も存在しています。


一の宮とは

「一の宮」とは、かつての令制国(たとえば、気多神社の場合は「越中国」がそれにあたる。)のなかで、もっとも社格が高いと一般に見られていた神社のことをいいます。
京都から地方の国府に赴任してきた国司の大切な仕事として、国内の主だった神社を巡回して幣帛を捧げる「国司巡拝」がありました。
平安時代以降、この国府からの巡拝の順番を「一の宮」「二の宮」「三の宮」と表したことによって、「一の宮」ということばが生まれたとされています。
巡拝の風習が廃れて以降も、「一の宮」ということば自体は残りましたが、その後の国府の移転や在地豪族の勢力関係などによって、「一の宮」と目される神社が、時代によって変遷することもしばしばありました。


気多神社の所在地や地図、連絡先などは次のとおりです。

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名称 気多神社 
読み仮名 けたじんじゃ
主祭神 大己貴命・奴奈加波比売命
旧社格 県社
郵便番号 933-0116
所在地 富山県高岡市伏木一宮1-10-1
電話番号 0766-44-1836
ホームページ [リンクをクリック]
リンク先ホームページがある場合には、それぞれの神社の由緒のほか、授与品や御朱印の取扱い、駐車場や交通アクセス、初詣や七五三、例大祭をはじめとする各種行事の案内、行事の際の交通規制の情報などが掲載されていることがあります。
交通手段 JR氷見線伏木駅から徒歩約20分
備考  

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旧社格とは

「社格」というのは、神社の等級を表したものですが、7世紀後半、特に天武天皇の時代を画期として、「官社制」とよばれる制度が導入され、諸国の神社は国家による統制を受けるようになります。
明治以前の社格を大まかに分類すれば、中央の神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、地方の国司から幣帛を受ける「国幣社」からなっていました。
こうした神社の名前と社格のリストが平安初期の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』のなかに含まれており(「神名帳」)、リストに掲載された神社を「式内社」と呼ぶこともあります。

いっぽう、王政復古が成った明治時代に入ると、国では延喜の古制をもとにして、新しい社格制度を模索するようになります。
その結果、明治4年に太政官布告として制定されたものが、「近代社格制度」と呼ばれ、戦後は公式には廃止されているものの、今でも神社の格式を表すのに「旧社格」として用いられることがあります。

近代社格制度では、国内の神社は大きく「官社」(官幣社、国幣社)、「諸社」(府・県社、郷社、村社)、「無格社」に色分けされており、基本的に「官幣社」は「国幣社」より格上とされ、また「官社」のなかでも「官幣大社」、「官幣中社」、「官幣小社」のような大・中・小のランクがありました。
気多神社の場合は、この旧社格(近代社格)でいうところの「県社」にあたっています。

なお、伊勢神宮は国家の宗廟として、この社格制度の対象外とされているほか、国家の忠臣などを祀る「別格官幣社」とよばれる特殊な神社(たとえば、楠木正行を祀る大阪府四條畷市の四條畷神社および徳川家康を祀る静岡県静岡市駿河区の久能山東照宮など)もありました。