伊弉諾神宮は、淡路島に鎮座する神社で、通称として「一宮(いっく)さん」とよばれることもあります。
『古事記』や『日本書紀』には、伊奘諾尊が国づくりを終えたのち、多賀の幽宮(かくりみや)に鎮まり余生を過ごしたと記載があり、これは淡路市多賀の伊弉諾神宮のことであるといわれています。
現在の社殿のある場所は、もとは伊奘諾尊の御陵地として立ち入りが禁じられていたところであり、明治時代に整地の上で社殿が建設されました。
「一の宮」とは、かつての令制国(たとえば、伊弉諾神宮の場合は「淡路国」がそれにあたる。)のなかで、もっとも社格が高いと一般に見られていた神社のことをいいます。
京都から地方の国府に赴任してきた国司の大切な仕事として、国内の主だった神社を巡回して幣帛を捧げる「国司巡拝」がありました。
平安時代以降、この国府からの巡拝の順番を「一の宮」「二の宮」「三の宮」と表したことによって、「一の宮」ということばが生まれたとされています。
巡拝の風習が廃れて以降も、「一の宮」ということば自体は残りましたが、その後の国府の移転や在地豪族の勢力関係などによって、「一の宮」と目される神社が、時代によって変遷することもしばしばありました。
伊弉諾神宮の所在地や地図、連絡先などは次のとおりです。
(モバイル用地図が見づらい場合は パソコン・モバイル兼用ページ の地図をご覧ください。)
名称 | 伊弉諾神宮 |
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読み仮名 | いざなぎじんぐう |
主祭神 | 伊弉諾大神・伊弉冉大神 | 旧社格 | 官幣大社 |
郵便番号 | 656-1521 |
所在地 | 兵庫県淡路市多賀740 |
電話番号 | 0799-80-5001 |
ホームページ | [リンクをクリック] リンク先ホームページがある場合には、それぞれの神社の由緒のほか、授与品や御朱印の取扱い、駐車場や交通アクセス、初詣や七五三、例大祭をはじめとする各種行事の案内、行事の際の交通規制の情報などが掲載されていることがあります。 |
交通手段 | 津名一宮ICからバス約5分 |
備考 |
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「社格」というのは、神社の等級を表したものですが、7世紀後半、特に天武天皇の時代を画期として、「官社制」とよばれる制度が導入され、諸国の神社は国家による統制を受けるようになります。
明治以前の社格を大まかに分類すれば、中央の神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、地方の国司から幣帛を受ける「国幣社」からなっていました。
こうした神社の名前と社格のリストが平安初期の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』のなかに含まれており(「神名帳」)、リストに掲載された神社を「式内社」と呼ぶこともあります。
いっぽう、王政復古が成った明治時代に入ると、国では延喜の古制をもとにして、新しい社格制度を模索するようになります。
その結果、明治4年に太政官布告として制定されたものが、「近代社格制度」と呼ばれ、戦後は公式には廃止されているものの、今でも神社の格式を表すのに「旧社格」として用いられることがあります。
近代社格制度では、国内の神社は大きく「官社」(官幣社、国幣社)、「諸社」(府・県社、郷社、村社)、「無格社」に色分けされており、基本的に「官幣社」は「国幣社」より格上とされ、また「官社」のなかでも「官幣大社」、「官幣中社」、「官幣小社」のような大・中・小のランクがありました。
伊弉諾神宮の場合は、この旧社格(近代社格)でいうところの「官幣大社」にあたっています。
なお、伊勢神宮は国家の宗廟として、この社格制度の対象外とされているほか、国家の忠臣などを祀る「別格官幣社」とよばれる特殊な神社(たとえば、上杉謙信を祀る山形県米沢市の上杉神社および鍋島直正ほかを祀る佐賀県佐賀市の佐嘉神社など)もありました。