千栗八幡宮
千栗八幡宮とは
千栗(ちりく)八幡宮は、佐賀県三養基郡みやき町に鎮座する神社です。
神亀元年(724年)、肥前国養父郡の郡司であった壬生春成が、八幡神の神託を受けて、この地に社を建てたのがはじまりとされています。
承平年間(931年~938年)には宇佐神宮の別宮になり、朝廷からも篤く崇敬を受けていました。
この千栗八幡宮には、お粥にできたカビから天候や作物の豊凶を占う「お粥試し」の神事があり、地震のお告げなどでも知られています。
一の宮とは
「一の宮」とは、かつての令制国(たとえば、千栗八幡宮の場合は「肥前国」がそれにあたる。)のなかで、もっとも社格が高いと一般に見られていた神社のことをいいます。
京都から地方の国府に赴任してきた国司の大切な仕事として、国内の主だった神社を巡回して幣帛を捧げる「国司巡拝」がありました。
平安時代以降、この国府からの巡拝の順番を「一の宮」「二の宮」「三の宮」と表したことによって、「一の宮」ということばが生まれたとされています。
巡拝の風習が廃れて以降も、「一の宮」ということば自体は残りましたが、その後の国府の移転や在地豪族の勢力関係などによって、「一の宮」と目される神社が、時代によって変遷することもしばしばありました。
千栗八幡宮の所在地や地図、連絡先などは次のとおりです。
右下のロゴをクリックすると大きな地図に遷移します。
名称 | 千栗八幡宮 |
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読み仮名 | ちりくはちまんぐう |
主祭神 | 応神天皇 | 旧社格 | 国幣小社 |
郵便番号 | 849-0111 |
所在地 | 佐賀県みやき町白壁2415 |
電話番号 | 0942-89-5566 |
ホームページ | [リンクをクリック] リンク先ホームページがある場合には、それぞれの神社の由緒のほか、授与品や御朱印の取扱い、駐車場や交通アクセス、初詣や七五三、例大祭をはじめとする各種行事の案内、行事の際の交通規制の情報などが掲載されていることがあります。 |
交通手段 | JR鹿児島本線久留米駅からバス約10分 |
備考 |
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旧社格とは
「社格」というのは、神社の等級を表したものですが、7世紀後半、特に天武天皇の時代を画期として、「官社制」とよばれる制度が導入され、諸国の神社は国家による統制を受けるようになります。
明治以前の社格を大まかに分類すれば、中央の神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、地方の国司から幣帛を受ける「国幣社」からなっていました。
こうした神社の名前と社格のリストが平安初期の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』のなかに含まれており(「神名帳」)、リストに掲載された神社を「式内社」と呼ぶこともあります。
いっぽう、王政復古が成った明治時代に入ると、国では延喜の古制をもとにして、新しい社格制度を模索するようになります。
その結果、明治4年に太政官布告として制定されたものが、「近代社格制度」と呼ばれ、戦後は公式には廃止されているものの、今でも神社の格式を表すのに「旧社格」として用いられることがあります。
近代社格制度では、国内の神社は大きく「官社」(官幣社、国幣社)、「諸社」(府・県社、郷社、村社)、「無格社」に色分けされており、基本的に「官幣社」は「国幣社」より格上とされ、また「官社」のなかでも「官幣大社」、「官幣中社」、「官幣小社」のような大・中・小のランクがありました。
千栗八幡宮の場合は、この旧社格(近代社格)でいうところの「国幣小社」にあたっています。
なお、伊勢神宮は国家の宗廟として、この社格制度の対象外とされているほか、国家の忠臣などを祀る「別格官幣社」とよばれる特殊な神社(たとえば、藤原秀郷を祀る栃木県佐野市の唐沢山神社および北畠親房、北畠顕家ほかを祀る福島県伊達市の霊山神社など)もありました。