社格とは
「一の宮」とは、かつての令制国のなかで、もっとも社格が高いと一般にみられていた神社のことをいいます。
京から地方に赴任した国司のたいせつな仕事として、国内のおもだった神社を巡回して奉幣する「国司巡拝」がありました。
平安時代以降、この巡拝の順番を「一の宮」「二の宮」「三の宮」のように表したのが元になり、「一の宮」ということばが生まれたとされます。
巡拝の風習が廃れて以降も「一の宮」ということばは残りましたが、その後の国府の移転や在地豪族の勢力関係などによって、「一の宮」とされる神社が時代によって変わることもありました。
社格とは
「社格」というのは神社の等級を表したものですが、7世紀後半、特に天武天皇の時代を画期として、「官社制」とよばれる制度が導入され、諸国の神社は国家による統制を受けるようになります。
明治以前の社格を大まかに分類すれば、中央の神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、地方の国司から幣帛を受ける「国幣社」からなっていました。
こうした神社の名前と社格のリストが平安初期の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』のなかに含まれており(「神名帳」)、リストに掲載された神社を「式内社」と呼ぶこともあります。
いっぽう、王政復古が成った明治時代に入ると、国では延喜の古制をもとにして、新しい社格制度を模索するようになります。
その結果、明治4年に太政官布告として制定されたものが、「近代社格制度」と呼ばれ、戦後は公式には廃止されているものの、今でも神社の格式を表すのに「旧社格」として用いられることがあります。
この制度では、国内の神社は大きく「官社」(官幣社、国幣社)、「諸社」(府・県社、郷社、村社)、「無格社」に色分けされ、基本的に「官幣社」は「国幣社」より格上とされ、また「官社」のなかでも「官幣大社」、「官幣中社」、「官幣小社」のような大・中・小のランクがありました。
ただし、伊勢神宮は国家の宗廟として、この社格制度の対象外とされているほか、国家の忠臣などを祀る「別格官幣社」とよばれる特殊な神社(楠木正成を祀る「湊川神社」や近代戦争の英霊を祀る「靖國神社」など)もありました。