昔から「坊主丸儲け」のような言葉もあるとおり、神仏に仕えている、あるいは超能力がある、見えないエネルギーを扱っているからといって、必ずしも清廉潔白な人ばかりであるとは限らない。
新聞を見ただけでも、僧侶や神職の犯罪などといったものは、殺人、強姦、暴行、詐欺などいくらでもある。
だいたい扱っているものが目には見えないのだから、逆にその威を笠に着て悪いことなどし放題だと考えたほうがよいのかもしれない。
今では特定の人物、あるいは教団などの悪事はたちどころにインターネットで話題となってしまう世の中になったので、事前に怪しいところかどうかを調べるのは容易でもあるのだが、実はそうとも言い切れない部分もある。
たとえば、高額なグッズや祈祷料などの詐欺で話題となった教団であれば、信者のブログを総動員して「詐欺で騙されやすい人は前世の因縁が原因だった、当教団のイニシエーションを受ければ因縁は解消される」といった記事を先回りして書いておく、あるいは教義が嘘だと話題になったのであれば、「祈祷を受けて長年の借金苦が嘘のように解消されました、教えは本物でした」などといった記事を、大量に書いておくという方法がある。
これは別にオカルトでもなんでもなく、単なるSEO、インターネットの世界での集客テクニックを逆手にとったもので、誰かか「なんとか教団 嘘」といったキーワードでグーグルやヤフーで検索をかけたとしても、「なんとか教団の嘘に騙されました」という真実の声ではなくて、ネット上に大量に存在する「嘘のように解消されました」の記事しか検索結果にヒットしなくなる。
そのため、「検索してもヒットしないのであれば、噂のほうがはやっぱり真実ではなかったのだ」と思い込んで、まんまと騙されてしまうことになる。
結局のところ、一般的な商品やサービスをめぐる詐欺の被害に遭いやすい人というのは、霊感商法やオカルトグッズなどでもやはり詐欺に遭いやすいので、安易に「詐欺に遭わないように祈祷してもらう」だの「詐欺に遭わないおまじないをする」だのといったオカルト的手段に走る前に、現実の自分の行動をよく見据えたほうがよい。
ただひとつ言えるのは、厭離穢土欣求浄土、汚れたこの世に見切りをつけてもう来世の幸せのほうに賭けるというのなら話は別だが、人間は結局はこの世で生きるよりほかはないのだから、あまりにも現実生活とかけ離れたことを説いているようなところとは、はじめからかかわらないほうが身のためといえるだろう。
また、お布施が高額過ぎて生活に破綻をきたすレベルであるとか、信者が主催者のことを褒めそやしすぎて気持ちが悪いとか、推奨された食事ばかりしていては栄養がかたよるはずだとか、常識をもって考えるとどうも胡散臭いという直感も大事にしたほうがよいだろう。