インターネットがこれほど発達すると、一般人でもネット上の発言でつい「やらかして」しまって、コメント欄が炎上してしまうということは稀ではないはずだ。
逆に、アクセス数アップを狙ってわざわざ物議を醸すような発言をする「炎上商法」なども成り立つわけだが、幸福な人生を歩みたいなら、やはりそんなものには手を出さないほうがよいのだろう。
こうしたものは、普通のブログなどよりもむしろ、ユーチューバーやテレビ広告などの映像媒体のほうが、アクセス数、閲覧数が広告収入に直結するだけにむしろ酷いかもしれない。
誹謗中傷になるので詳しくは言わないが、ちょっと前に新聞などのメディアの話題になるほど炎上した案件(というよりも、既存のマスメディアはお得意の「報道しない自由」を行使しまくったものの、ネットの風聞で化けの皮が剥がれた案件)があって、不用意にその人のブログを開いてしまったのだが、なかなかちょっと強烈だった。
ブログの内容そのものは、客観的に見て別に普通というか、まともな内容だったのだが、開いた瞬間にぞくぞくするほどの寒気があって、よほどこの人は怨嗟というか、悪意というか、そうした目線で多くの人々からブログを閲覧されたのだろうというのがわかった。
神社の境内の高い波動のようなものは体感的に冷たかったりもするのだが、単に冷たいのではなくて、清々しさ、浄化という側面を持ち合わせているのに対して、こちらのブログのほうは本当にただただ冷たかった。
「炎上」なのだから熱くてやけどするような波動があってもよさそうだが、実際はそうではないのが言葉の面白いところで、どちらかといえば、寒い、刺すように痛い、重い、暗いなどの形容詞がしっくりとくる。
そのうちほとぼりが冷めて(「ほとぼり」も実は熱の意味だったりするが)誰もブログを見なくなれば落ち着くとは思うのだが、ひょっとしたらブログやホームページのようなものも、あまり放置したままにしておくと邪気が溜まるまでメンテナンスしなければならないものなのかもしれない。