稲荷がよくないといわれるのは

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稲荷というのは江戸時代に方方に屋敷神のようにして勧請されたため、なかには代替わりをするうちに祭祀がおろそかになって、ろくに管理されなくなってしまったといったものが少なくない。「祀り捨てられた神」が妖怪化してしまうというのは民俗学者の柳田國男が言っていたことだが、せっかく勧請したのに祭祀をしないというのは、まさに「祀り捨てられた神」にほかならない。それで「良くない」といわれるというのがひとつにある。

ほかに、稲荷神には神道系と仏教系のふたつの系統がある。神道系の稲荷神の正体は宇迦之御魂神であり、要するに穀物、食べ物の神様ということになる。しかし、仏教系の方は、なぜか荼枳尼天という、もともとは夜叉のごとく人を食らうヒンドゥー教の神である。前非を改めて仏に仕えたため、鎮守として寺院に祀られることになった。そうした意味では一般人が祀るには怖すぎるということがある。

さらに、稲荷神がポピュラーな存在である以上、現世利益的な願望実現のために、何度となくお参りする人も増えるようになったというのも大きい。お百度参りなどよくある話だが、実際のところ、ああしたものは大概にしたほうがよいのではないかと思う。あまりに願望が強すぎると、飢えた感じの強烈なマイナスエネルギーだけを社前に残すだけとなってしまう。欲得ずくの人間が撒き散らすマイナスエネルギーが浄化されずに溜まってしまって、稲荷の社全体を乗っ取ってしまうというのは、よくあることなのである。

しかし、世の中にはこうした宜しくない稲荷ばかりではなく、まっとうに管理された、たいへん御利益の大きな稲荷も存在するわけで、一概に忌み嫌うというのも、やはり考えものだと思う。

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