意識に対する憑依

2015年8月24日

願望が叶ったときの反動の記事に書いたとおり、たとえばチャクラが開いたからといって、開いた瞬間にいきなり悪霊に憑依されるとかいうことはない。
とうぜん開きっぱなしにしていればそのリスクは高まるので、防衛するのは必要なことなのだが。

むしろ現代社会に生きているなかでは、悪霊のようなものの憑依ではなくて、目に触れた情報、耳にした情報のおかげで、生きている他人の意識に憑依されている、とでもいった現象のほうに注意したほうがよいのではないかと思う。
これはチャクラが開いているかどうかといったことに関係なく、である。

たとえば、子供のころに親から言われた小言などが、成長して大人になった段階でも、その人が物事を自由に選択するのを制約していたりすることがある。
客観的にみておかしいとわかっているのに、なぜかおかしな方向にしか選択・行動ができないというのであれば、それは自分自身の本来の意思ではなくて、親の意識に半分くらい乗っ取られている、意識が憑依されていると考えたほうがよいだろう。

もう少し大掛かりなものでは、テレビで放送されていることが事実だと思い込んで、実は番組をつくった人間の虚偽であったのにもかかわらず、知らずしらずのうちに一定の思想傾向を持つように誘導されてしまった、などといったものが典型的だろう。
これは本来はニュートラルなものであった自分の意識が、放送関係者の意図した方向に引きずり込まれているのだから、やはり自分の意識の一部が他人の意識に憑依されたようなものである。

もしオカルト的な手段でさまざまなものを浄化できるという人は、ときどき自分の意識のなかに入り込んだ他人の意思についても、浄化の対象としておいたほうがよいだろう。
あやしげな他人の意識に憑依されていると、それがもとで本来の自分を生きられず、人生の選択を誤ってしまうことにもつながりかねない。

どのくらい意識が憑依されているのか、どういう他人が影響を及ぼしているのかというのは、瞑想などで潜在意識と容易に対話できるという人なら別だが、一般にはダウジングのような手段を使うと発見がしやすい。
もっとも、他人の意識というものは、一般人の意識のなかには少なからず入り込んでいるもので、半分以上は本来の自分の意識ではない、くらいにとらえておいたほうがよいと思う。
これは別におどろくべき結果ということでもなくて、さまざまな情報に触れるなかで当然に起きるものなので、そのなかの何パーセントかでも浄化できれば上出来と考えたほうがよい。
消費税が5パーセントから8パーセントに変わっただけでも高くなったと感じる人ならば、わずか数パーセントの意識の濁りがなくなっただけでも、多少は快適さがわかるはずだ。