意識の名前付け、物の擬人化による願望実現方法

2015年8月26日

世の中にはスピリチュアルな手法での願望実現方法は数々あるが、たとえば自分の意識の一部に名前を付けて、明確化しておくというものがある。

ある一人の人物であっても、鬱々とした気分になって何事にもまったくやる気が出なくなることもあれば、ずば抜けた実行力と判断力で他人をリードするようなこともある。

これは休日だらだらしているときの自分と、平日に会社で仕事をバリバリこなしているときの自分を考えればわかりやすいだろう。

どちらが本当の自分かといえば、ひょっとすると休日のぐだぐだ状態が本物だという悲観的な人が多いかもしれないが、よく考えればどちらも本当の自分である。

人間の判断や行動が意識の産物だとすれば、同一の人物であったとしても、このような「だらだら意識」と「バリバリ意識」とでもいうべき、二面性をもっているということになる。

いま「だらだら意識」と「バリバリ意識」と仮に名前を付けたが、何でもよいがこのように意識の違った側面に名前付け、定義付けをして、別物として扱ってやれば、願望実現にとっても都合がよいはずだ。

たとえば、自分の意識のなかで、仕事でも何でも的確にバリバリこなせる優秀な意識の部分を「バリバリ意識」と名前を付けてやれば、瞑想中に心のなかでバリバリ意識を呼び出して対話をし、現実生活の上でトラブルになっていることの解決策を教えてもらうといったことが可能だし、あるいは解決そのものをバリバリ意識に丸投げして依頼することも可能だ。

名前はここでは「バリバリ意識」となどと仮に呼んでいるが、別に自分がしっくりくる、そして意識の性質を適切にあらわしたものであればなんでもよく、「ポチ」だろうが「インノケンチウス3世」だろうが「うまるちゃん」だろうが、本当に何でもかまわない。

ただし、「名は体を表す」という言葉どおり、「ポチ」という名前の意識は、ひょっとしたら主人の言う命令をそのまま良く聞いてくれる番犬のような存在だが、場面に応じて対応をするという「頭のいい」働きをすることが苦手になってしまうかもしれない。

この方法はいろいろ応用が利くが、すべての物には意識があるという前提で、物に名前を付けて擬人化してしまうというのも有効だ。

たとえば、吹奏楽部で自分の使う楽器に対して名前を付けて、上手に音が響くようにと日々願いごとを話している変な人がいたとすれば、特に考えもせずにこの願望実現方法を実践していることになる。

また、下世話な話になるが、自分の下半身に「ジョニー」とかいう名前を付けてかわいがっている男がいるとすれば、これも実は(どういう願望かは知らないが)この願望実現方法の密かな実践者であるわけだ。

さらに進んで、自分の意識の一部を自分から意図的に切り離し、「人ならざるもの」として作り上げた存在が、いわゆるタルパとか人工精霊とか呼ばれるものになる。

この人工精霊やタルパと呼ばれるものは、自分の外部に、自分とは違った姿として視覚化されるものだから、単に意識に名前を付ける以上に、「恋人を得たい」「仕事ができるようになりたい」「頭が良くなりたい」といった、個別の願望実現のための効率的な働きが期待できるだろう。

ただし、こうした手法にはデメリットもあり、気づいた人もいるかもしれないが、分離された意識が勝手に暴走してしまうという危険があるということである。

これが「同一の自分だ」と認識できないくらいに、取り分けられた別の意識が育ってしまったものが、いわゆる「二重人格」と呼ばれるもので、その危険性はここで話すまでもないだろう。