アニメキャラを人工精霊として使う場合

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人工精霊、あるいはタルパのようなものの形象として、アニメのキャラクターを流用するというのは、ありがちなことだし、上手く機能する場合もある。

自分であれこれと人工精霊の顔やプロポーション、性格設定などを考えるのも、それはそれで楽しいと思うが、この段階にあまりに凝りすぎてしまうと、いつまでたっても人工精霊を実際に創造するという段階にたどりつけない。
私のように飽きっぽい人間であれば、逆にこのプロセスが面倒すぎて苦痛でしかたがないということもある。

アニメのキャラクターというのは、よくも悪くも「キャラが立っている」ため、必要以上に創造主である私たちが顔や性格などの設定をあらかじめしなくても、人工精霊として創造した後で、向こうのほうから勝手にそれっぽい容姿や性格に育ってくれるので便利なものだ。

ただし、まさに「勝手に育つ」という点には注意しなければならず、たとえば「のび太」というキャラクターを人工精霊として創造し、身の回りを霊的に守ってくれるような護身の役目を期待したとしても、いざというときになると怖くなって逃げ出してしまい、まったく役に立たなかったという羽目に陥るかもしれない。

ならばもっとマイナーなアニメのキャラクターを人工精霊にするというのもありだが、どちらかといえば、メジャーなアニメの、メジャーなキャラクターのほうが育てやすく、「それっぽく」なるはずである。

人工精霊とタルパの線引きにあいまいな部分はあるが、ともかくもこうした人工精霊というものは、創造する段階では自分の意識のなかで描いたイメージを投影するわけだから、自分自身がそのキャラクターの性格、容姿、行動パターン、口癖などを熟知していればよいと思いがちだ。

しかし、実際には自分自身で描いたイメージそのものというよりも、日本全国の多くの人々がそのキャラクターに対してもっているイメージのほうに引っ張られやすく、自分自身でそのキャラクターの余計な裏設定などを知っていたとしても、それはあまり意味をなさないことが多い。

自分の意識は自分だけのものと思いがちだが、いっぽうで集合的無意識のように、祖先から受け継いできたものなどの多くの人々の経験がミックスされた無意識の領域というものがあり、実は自分の意識の底のほうではそれらとつながっているというのは聞いたことがあるだろう。

とするならば、アニメのキャラクターのようなささいなものであっても、実は大勢の他人が認知しているほうの姿が、こうした無意識領域を通じて投影されてしまうということもあるわけである。