全知全能なら何でも実現するのか

スピリチュアルな手段での願望実現にあたっては、エゴを削ぎ落した本当の自分、ハイヤーセルフとつながることが重要であるというのは良く言われることだ。
ハイヤーセルフは全知全能の存在とつながっていて、何でも見通すことが可能な存在として定義されていることが多いと思うが、さてここで、全知全能であれば何でも私達の望み通りに願望を叶えてくれるのかどうかという疑問に行き当たる。

本当に何でも叶えてくれるのであれば、世の中は戦争など無くもっと平和であったろうし、何よりもこのブログを書いている私なぞは、今ごろは億万長者で毎日お金を湯水の如く使い、どこかの無人島を買い取って豪邸に住み、美女をたくさんはべらせて、山海の珍味を味わうような生活をして、そのうちすごい発明をして高校の歴史の教科書か何かに載っていたはずだ。
だが、ハイヤーセルフに祈ったから何でも叶って満ち足りた生活をしているという人を、私は知らない。

理由はいくつかあるだろうが、たとえば方向性の違いというものがある。
エゴの領域では、それこそお金持ちになって目先の欲求をすべて発散させるような毎日を望んでいたとしても、ハイヤーセルフについては、もっとストイックな修行の場として、肉体のある現世というものを捉えているため、どう見ても「不幸な人生」としか思えないような選択をして、それを克服するほうに重点を置いている、といった場合がある。

もうひとつに、「全知全能」を会社のような組織で置き換えるとしたら「社長」のようなものだから、「平社員」くらいにしか過ぎない、通常の意識が日々願っているような願望などは、取るに足りない些細な事で、魂の成長にまったく不要なものとして取り合ってもらえないのかもしれない。

さらに、太陽が出ているときには洗濯物を乾かしたり、獲れた魚でもザルの上に並べて干物を作ったり、太陽光パネルを置いて発電をしたりといった、いろいろなことが出来る反面、ただぼやっと立っていただけでは日射病になって救急車のお世話になるだけというように、ハイヤーセルフはいつも太陽のような恩恵をもたらしてはいるものの、こちらが相手に合わせて行動しないと無駄になってしまうということかもしれない。

実は「ハイヤーセルフ」と一口に言っても人によって定義が微妙に違うのでこんな説明にしかならないが、ともかくも俗な世界で俗な願望を持っている我々にとって、「全知全能」というのは実際問題としてあまり当てにはできないということだ。

逆に言えば、「全知全能」の存在よりもヒエラルキー的に低いとか、低レベルだとか思っていたものが、自分の願望を満たすためにはもっとも良く働いてくれるということもあるわけだ。
人工精霊やタルパ、潜在意識などがしばしばこのブログで取り上げられるのもそうした理由からで、現実社会を見たってその類例はいくらでもある。
たとえば、学校のような世界では、生徒よりも先生が偉いということになるだろうが、それでは生徒から東大合格者を毎年出しているような高校のなかで、東大を卒業した先生がどれだけいるかといえば、おそらく限りなく少ないだろうし、こと大学受験に関しては生徒のほうが目的に即した能力を持っているということもあるわけである。

ただし、いかに「ヒエラルキー的に低い」存在に頼るとは言っても、おのずと限度というものがある。
あの世でも現し世でも、怪しげな存在というものは多々あるもので、たとえば「詐欺師」として成功(?)している人や思念体の弁舌の能力は、一般人の平均を遥かに凌ぐものなので、「口下手を直したい」「有り余るお金が欲しい」という願望があるのであれば、まっとうな神仏や精霊、潜在意識よりも、詐欺師に師事したほうが「実入りが良い」はずだ。
しかし、本当に詐欺師に師事して、表面的には願望が実現したとしても、その後に見返りを要求されるかもしれないし、他人から後ろ指を指される人生に甘んじるかもしれないし、結果としてその人にとっての「幸福」になるかどうかはわからないのだ。