神は人の敬いによりて威を増す(2)

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前の「神は人の敬いによりて威を増す」の記事と、ここ数日の記事を読み返して見ると、昔の人のように常に神を敬えとか、余所者は土地の神社に参拝するなとか主張しているように捉えられかねないとふと気づいた。

『戦国遺文』あたりでも見ていたのかと思うが、昔の武将がどこかの神社に捧げた願文に、「神は人の敬いによりて威を増す」というフレーズがあって、よくよく見たらその後に「御鷹得させたまへ」というのが続いていた。
「神様というのは人間が崇めるほど神威が増すと聞いています。そこで、私がこれからたくさんお供え物をしますので、どうか鷹狩りに使うよい鷹を恵んでください」とでもいったところだろうか。

この「神は人の敬いによりて威を増す」というのはよほどの名調子らしく、今でも神社の社務所などに、このフレーズを書いた張り紙などがあったりもするが、その場合は「常に神を敬え」というキャッチフレーズのように使っているのだろう。
しかし、昔の人だって「神は人の敬いによりて威を増す」と言った後で「鷹をくれ」という卑俗な願い事をしているくらい、今の人間とたいして変わらないのだから、神社を参拝するにあたっても、あまり肩肘を張らずともよいと思う。

また、余所者云々に関しては、神社としてのスタンスに違いがある場合もあるという意味であって、特に観光地化しているような有名どころの神社は、あまりどこの出身だということは考えなくてもよいし、たいていの神社では普通に参拝してその土地の神様に御挨拶すれば済むことである。

ただし、ブログのどこかで書いたような気がするが、本当にあちら側が参拝してもらいたくない場合には、どんなにトライしても道を間違えたり車が側溝に落ちたりで参拝できないとか、写真を撮ろうとしたら電池切れやシャッターの不具合が続くとか、ともかくあらゆる手で妨害が来る。

たまに神社に行くと神様からメッセージを受け取れるという人が他のブログなどにその内容を書いていたりするが、上記のような「門前払い」を食らったときの話はあまり聞かない。
そもそも参拝さえ受け付けてもらえない「門前払い」の場合、経験上、まず「どうして参拝させてもらえないのか」という理由さえもメッセージとしては示してもらえないので、前世の因縁があるのか、日頃の行いが悪いという意味なのか、結局わからずじまいなのである。
まあダウジングで理由を推測するなどの別の手段はあるのだが、私の場合はさすがに怖すぎて何もしていない。