「誰かが幸福になれば、別の誰かが不幸になる」とは

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先の特定の願望実現によって別の願望が叶わなくなる場合を書いていてちょっと気づいたのだが、「一方の願望を叶えると一方が叶わない」という構図は、「世界の幸福の総量は一定なので、誰かが幸福になれば、別の誰かが不幸になる」という言説と誤解されかねない。

「世界の幸福の総量は一定なので、誰かが幸福になれば、別の誰かが不幸になる」というのは、正直なところ、本当のところは創造神でも造物主でもない人間ごときにはわかるはずもないと思う。
もっとも、「人間はみんな創造神の分け御霊をもらって生きているのだ」という話は成り立つのかもしれないが。

この「誰かが幸福になれば、別の誰かが不幸になる」を突き詰めていくと、他人に思いやりのある真面目な人ほど「私が幸福になると別の誰かが不幸になるから、私は不幸なままでよい」という考え方に陥りがちになってしまう。
これは、潜在意識で願望実現などを実践する場合にも、当然ネックになって、願望が叶わない原因のひとつにはなる。
そして、この考えが広がると、「真面目な人ほど報われず、他人のことを思いやらない傲慢な人ほどどんどん幸福になる」という世界が生まれるわけだ。

「それって現代社会そのままじゃないの?」と思った人は、まっとうな感性をしていると思う。
逆に言えば、真面目に頑張っても不幸になるという人ほど、他人のことはひとまず差し置いて、自分自身のために願望実現に邁進すべきだろう。

オカルト的な言い方をすれば、世の中には願望実現にでも何にでも使えるフリーエネルギーは充満していて、容量としては「世界の幸福の総量は……」などと考える必要もないほど膨大な量だし、宇宙の果てにはまだまだ未知のエネルギーがありそうなので、使えるものは使ったほうがよいということになる。