中世の城郭とオカルト

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中世の城郭は、近世の城郭とはかなり違って、石垣などはまずなかったり、天守のような立派な建物もなく、単に館と呼ばれる程度の建物があったにすぎないというのが一般的だ。
そのかわりに山の尾根などの複雑な地形を利用した空堀が発達していて、落ちたらまず助からないだろうという場所ばかりというのも特徴だろう。
発掘すれば当時の柱穴や井戸、陶磁器のようなものは出てくるのかもしれないが、そもそもが戦闘用で、城下町として街並みをつくるという用途には耐えられず、現在はもう打ち捨てられているものが多い。

こうした中世の城郭は、しばしば心霊スポットとして取り上げられることがあるが、実際に戦いが行われている以上、たしかにそうした場所になりやすいというか、やはり波動的によろしくない場合というのもある。
実際に戦国時代の人間がまだ浮かばれていないというか、逆に時代的に新しい人間の霊だったとしても、何か引き寄せられるようにそうしたうら寂しい場所に集まるもののようだ。
なので中世の城郭で幽霊を見たからといって、それが戦国時代の武将や足軽の姿であるとは限らないわけだ。

ただし、こうした城郭というのは、同じ山の中に、寺院とほとんど一体のように建てられているというものや、後から寺院や神社が建てられたというものもあって、たまに仏教的な癒やし波動になっているところなどもある。

立派な天守のある近世の城郭は、こうした中世の城郭とはかなり様相が違っていて、波動的に良い場合が多い。
幕末の一時期を除き、実際に戦闘には用いられていないということもあるし、富と権力の象徴のような位置づけで、多くの一般庶民の心のなかにインプットされてきたということもあるのだろう。