QRコードによる護符

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特定の文字や数字を図形的に置き換える方法はいくらでもあるが、現代ではたとえばバーコードやQRコードといったものが数字や文字を直接表記する代用としてうまく機能している。昔なら八卦の手本といわれる河図洛書だって、数字を丸や棒のような符号に置き換えて配置したものだから、ちょつとバーコード的なものといえるかもしれない。

河図洛書が神秘的と考えられていたように、バーコード、QRコードのようなものは、機械にかざしてみないと結局何が書かれているかわからないという点で、きわめて神秘的で、河図洛書と通じるものがある。

この間マイナンバーカードを役所でようやく受け取ってきたが、その前に持っていた住民基本台帳カードの下部にあったQRコードに何が書かれているのか気になって、リーダーに接続して読み取ってみると、何の事はない、ただの自分の生年月日だった。知ってがっかりだが、QRコードが実は生年月日という事実を知る前には、このQRコードにはよほどすごい個人情報が隠されているのではないかと密かに期待していた。

話が飛躍して申し訳ないが、なんだかよくわからないけどとりあえず拝んでしまうというのは日本人の潜在意識に蓄えられた長年の癖のようなもので、だいたい神社に行っても祭神の名前さえわからないのに願い事をしていたり、どんな精霊がいるかわからないのに水辺にお賽銭を投げたりすることはありがちな話だ。QRコードと同じく、正体を知ってがっかりのこともあるが、少なくとも正体がわからないうちは勝手にありがたいと思いこんでしまうものである。

西行法師は伊勢神宮を参拝して「なにごとの おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と詠んだとされているが、なんだかわからないのに神秘的な情景、物事に勝手に感動してしまう特性をとらえて、バーコードやQRコードを護符にしてしまうというテクニックも、スピリチュアルな道具づくりにどうやら使えそうだ。

特定の数字や文字の組み合わせ、要するに呪文にパワーが宿るというのは知られていることだが、これを堂々と紙などに書いて携帯していると、他人に見られたときに何とも恥ずかしい思いをするものである。特に学校や職場に持っていくのであればなおさらだ。

ならば、そうした呪文をいったんバーコードやQRコードに加工した上で護符にして携帯するという方法がある。幸いにバーコードやQRコードの場合、インターネット上で無料で作れるジェネレーターがあるので、こうしたものを拝借して、自分独自ののバーコード、QRコードを作ってしまうのだ。

他人が見てもバレないという特性と、自分が見てもよくわからないので勝手にものすごい不思議なものと思い込んでしまうという特性の両方をもっているので、活用しようと思えば結構使えそうだ。