最近はどこの神社仏閣でも交通安全の祈祷・お祓いといったものを手がけている。
先日、関東では有名なある寺院の交通安全祈祷の場にたまたま居合わせることができたのだが、自動車が並ぶ前に現れたのは、外見からはかなり若いと思われるお坊さんだった。
若いからたいしたこともないだろうと半分くらいナメていたのだが、実際に真言を唱え始めると、背中がゾクゾクするような感覚にとらわれて、やはり御利益はあるものだと思い直した。
真言・呪文のようなものは、特定の文言を唱えると、特定の波動を発生させるという、いわば人間と神仏との契約のようなもので、遠い昔につくられたものであったとしても、やはり現代においても有効なものだ。
もちろん、長い歴史のなかで人々に顧みられなくなって、力を失ってしまった呪文もあるだろうし、もともとは違う意味でつくられたものが、現代風に意訳されているような場合もあるかもしれない。
日本の神で例えたほうがわかりやすいが、たとえば道案内の神とされる猿田彦命は、いまでは自動車のお祓いでは大人気だが、神話の時代に自動車のような機械があったわけではないし、天鳥船神だって、まさかC重油で動くような船で天界を行き来していたわけでもなかろうし、鳥のように空を飛ぶといっても、飛行機に乗っていたとは考え難い。
それでも人々の意識の変化、あるいは現代という時代にあわせて、自動車や船舶、飛行機の守護や、そうした乗り物での旅行の守護にはなり得るわけだ。