詐欺とオカルト 2

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詐欺とオカルトを考える上で扱いが難しいのは、お金という存在である。

お金というのもある種のエネルギーであって、それが多くの人々の間を循環しているのが正常な姿だと考えるのであれば、たとえば祈祷、除霊、ヒーリング、占い、イニシエーション、パワーグッズ、パワーストーンなど、物やサービスは何でも問わないが、能力のある人に具体的な形をもったエネルギーであるところのお金を与えて、代わりのエネルギーを受け取るというのは、別に不自然でもなんでもなく、理にかなったことだといえる。

現実問題として、ヒーラーでも占い師でも、不食の実践者というのならともかく、この世に生きている以上は食べるためにお金が必要なのだから、対価をもらわずに職業として成り立つはずがない。

また、人間の意識というものは、これまでの生き方を否定するような大きな変更というものを否定しがちなものだが、いったん大金を支払ってしまえば、もう後には引けず、ヒーリングなりイニシエーションなりを受けようという意思が固まるので、払った側にとっての効用もあるわけだ。

よく占いでもイニシエーションでも祈祷でも、何らかの行為をするにあたって、急に用事が入って会場に行けなくなってしまうとか、手違いがあって申し込みがされていなかったとか、邪魔が入ったりすることがあるが、これは場合によっては意識というか、エゴが生き方の変更を快く思わずに止めている可能性もある。

ただ守護霊などといった存在が誤った道に入らないように止めている可能性のほうもあるので、これはどちらなのかというのはケース・バイ・ケースで、客観的に考える必要はあるかもしれない。

また、こうしたこととは逆に、惜しげもなく無料でヒーリングをしたり、占いをしたりといった人も世の中にはいるわけで、その場合は一種の積善の行というか、ボランティアというか、世の中のためになることをして、自分の徳性を高めるということをしているわけで、それはそれで立派なあり方といえる。

ただし、こちらも自分の虚栄心を満たすとか、博学なのをひけらかしたいとか、他人を自分の教えどおりに操りたいとかいう邪まな考えで、根拠も何もないようなサービスを無料で行っている可能性もある。

というわけで、無料だから良い、有料だから悪いとは一概にはいえず、金額だけが詐欺なのかどうなのかを判断する境界線にならないというのも事実だろう。

こうした場合、シンプルに考えれば、まずは何らかの行為をしたいと思ったときに、必要なお金が手元にない状態であれば、それは逆に現在受ける必要性や価値などまったくないということを、宇宙が証明しているようなものだろう。

とするならば、「宇宙は何でも欲しい物を与えてくれる、必要な物はそこにある」という考え方の信奉者が、無理して借金をしてまでお金を工面しよう思うのはナンセンスであり、他の無料の方法を探すか、または何もしないほうがよいということになる。