物事が上手くいかないときに、いつもの手法を逆さにしてみるというのは有効だ。これは呪詛、呪いといった手段にも使えないこともない。
簡単なところでは、いつも家を出るときに左足からドアを出るのか、右足からドアを出るのかをよく観察しておいて、運が悪いと思ったときにはその足を逆にしてみるなどというのがある。
あるいは、縁起が悪いとして普通はしないのだが、南枕で寝ているのであれば、これを北枕にしてみるなどということがある。
味噌汁とご飯はどちらが左でどちらが右かというのはしばしば話題になるが、これも逆にしてしまうと恵比寿膳、夷膳、死に膳、逆さ膳などといって、無作法というか、やはり縁起が悪いものとみられるわけだが、あえてそうしたことをしてみるわけだ。
左前で着物を着る事例を持ち出すまでもなく、逆さというものには、場合によってはこのように死のイメージがまとわりついていることもあるので忌み嫌われるが、現在の運気を転換するという意図をもって、あえて通常とは異なる方法を用いるのは、潜在意識に対してある起死回生、一発大逆転のような、ある種のメッセージを与えることにつながる。
ただし、この方法は冒頭で紹介したとおり、呪いを実践する方法としても登場することがある。
修験道などでは逆さ経といって、般若心経を逆から読む手法があり、これは修験道特有の擬死回生というか、いっぺん死んで生まれ清まるという思想が混じっているのだろう。
こうしたものとは別に、大般若経の理趣分を逆さにめくって人を呪うために使うなどという話は、おどろおどろしい伝説などにも登場することがある。
通常の作法に反する、常識への挑戦というのは、善に対する悪の入口というか、呪いのシンボルとしても、もってこいなのである。