結界というのは小説やアニメなどでも時々出て来るが、要するに外からの怪しい存在を神聖な領域である内側に入れないようにするための防御壁のようなもので、物理的なものではないから当然肉眼で見ることはできない。
ただ、体質的にか、後天的に備わったものかはともかくとして、そうしたものが「見える」という人もあれば、波動感覚のようなものとして感じられる人というのも、人間の世界は広いので中にはいるものだ。
こうした結界を、ふつうの人、要するに見えたり感じたりといったことがあまりない人に知覚できたりはしないかどうかだが、ひょっとしたら目ではなく、皮膚感覚のようなものとしてであれば、感じられることもあるかもしれない。
そうした体験をするのであれば、神社や寺院のなかでも、境内とそうではない場所とを分ける何かがあるところで実験をしてみるというのもよいかもしれない。
境内と外界とを分ける目印として何があるかだが、たとえば神社であれば、すぐに思いつくのが鳥居、もっと内部に入れば、本殿の横にめぐらされている瑞垣などといったものが該当するだろうか。鳥居のような大きな構造物がなくても、しめ縄が張られている場所などは、やはり神聖な何物かが祀られている、あるいは降臨する場所として、特に区画されているということになる。
寺院の場合でも、山門がだいたいあるはずなので、そのあたりが適当だろう。
こうした場所を外から出入りするときに、何か冷たいひんやりとした感じ、ホースからしぶきとして飛び散る水の粒を浴びたような感じを感じられたなら、それはやはり結界の存在を皮膚で感じた、ということなのかもしれない。
まあ単に境内は木々が生い茂っているから直射日光が遮られて温度が下がったのだろうとか、理屈を付ければいくらでも理屈は付けられるが、まずは「自分は感じられる」という自信をつけるというのも大切だ。
ここは比較的わかりやすいだろうなあと感じたところとしては、群馬の山奥にある榛名神社の社号標があるあたりとか、あるいはもう少し都心に近いところでは筑波山神社のヤマトタケルノミコト(このあたりでは只の日本武尊ではなくて倭武天皇(ヤマトタケルノスメラミコト)と天皇扱いしているようだが)のいる随身門とかはどうだろうか。
もっと一般的にいえば、たとえば寺院であれば、曹洞宗のような禅宗の寺院あたりは境内とそうでないところの違いを感じやすいかもしれない。
ただし、爽快感ではなくて、嫌悪感を感じるようなぞくぞくした冷たい感じの場合は、それは結界どころか変に境内でくすだまっている霊体の可能性もあるので注意は必要だ。