予祝の応用

神社の境内などで行われる御田植祭、御田祭り、田遊びなどと呼ばれるものは、いわゆるモドキというか、村民が農作業を擬似的に芝居のようなかたちで演じて、本当の農作業がはじまる前から、勝手に「その年は豊作だった」ということにしてしまうという行事だ。

民俗学などでは「予祝行事」というテクニカルタームで示されるが、要するにあらかじめその年の豊作を祝ってしまう行事ということで、まったく文字通りの意味になる。

こうした神事が様々な芸能、たとえばそれは能楽であったり狂言であったりと、いまに続くようなものの苗床になったというのは興味深いものだが、それとともに興味深いのは、やはり、「実現もしていないうちから勝手に祝ってしまう」というところだろう。

願望実現には潜在意識を使えというとはよく言われるが、たとえば成功した姿をありありとイメージしなければならないなどと言われても、それでイメージできる人はよいが、そうでない場合は逆に、「なんで自分はイメージする力が弱いのだろう」と自己嫌悪に陥ってしまうことにもなりかねない。

そうした場合、たとえば雑誌の写真を切り抜いて、自分が理想を実現したときの姿をコラージュとして表現するなどといった工夫はありだろう。

たとえば、「東京大学に合格したい」という願望を実現したいのであれば、東大の安田講堂あたりの、「いかにも東大」といった写真を雑誌から切り抜いて、その上に笑っている自分の全身写真でも貼り付けて、「東大に合格した自分」の即席合成写真を作ってしまうわけだ。これをどこか勉強部屋の壁にでも貼り付けるなり、お守り袋に入れて首から下げておくなりして、常に願望に意識が向くようにするわけである。

こうした方法とは別に、冒頭の「予祝」を活用してしまうというのも有効だろう。
よく「自分へのご褒美」などといってケーキやお菓子を大人買いしてくる女性は本当にいるものだが、あれと似たようなことをやってしまうわけだ。
自分が東大に合格したことにして、好きなケーキでも買って、願望がかなっていないうちから前祝いをしておく。
できればそのときの風景は写真などに撮影しておいて、これも先ほどのコラージュのように、どこかに飾るなり携帯するなどして意識付けに活用するというのもよいだろう。
これでたとえ願望が叶わなかったにせよ、失うものはケーキ代だけだし、そもそも好きなケーキを買っているのだからそれほど惜しくはないはずだ。