神社に呼ばれるとは -狭野神社

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狭野神社は九州の霧島連山のあたりにある神社で、この霧島連山にあるいくつか有名な神社をあわせて「霧島六社権現」などという言われ方をすることもあるらしい。

霧島はたぶんかつては噴火をしたこともある山のはずであるし、中世や近世には修験山伏が修行の場所としていたというのもポイントが高い。こうした場所は歴史が移り変わったとしても、やはりパワースポットとして世の中の人に知られることになる。

ここは旅行でたまたま通りかかって、いったん素通りはしたのだが、どうしても参拝したくなって訪れたところにあたる。「どうしても参拝したい」というのは、別の何か適当な言葉がないかと探したが、やはりこれがいちばんしっくりとくる表現だ。

参道が非常に長いのが印象的で、駐車場には石像の仁王像などもあったが、これはやはりかつての神仏習合の名残というのだろう。ただ境内地そのものは神道的な感触のほうが優っているような感じだ。

この狭野神社は、かなり年数を経ているかんじの杉木立、それから境内にも流れるせせらぎがなかなか心地よく、さまざまなものを浄化してくれる作用がある気がした。

また、御祭神は神日本磐余彦天皇、すなわち神武天皇という。別名で狹野尊なので、狭野神社ということなのだろう。神話に書かれている事績というのは、かなり神格、あるいは我々のような参拝者としての俗な立場で見るのであれば、御利益にだいぶかかわってくる。

神武天皇がわが国の初代の天皇であるということは、たとえば物事をリセットして新しく始めたいと願っている人が、その一歩を後押ししてくれるようにと願うのにはたいへん都合がよかったりするわけだ。

その当時、私自身が何をどうしようとしていたのか、もう昔のことなのですっかり忘れてしまったが、たしかに何か仕事上の新しいことをはじめようとしていた記憶はあり、後で御祭神のことに気づいて、やはり参拝してよかったのだと強く思ったことは覚えている。

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