簡単な祓い

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禍々しいものを祓う方法として、指で九字を切って押し返すとか、柏手(かしわで)を打つなどといったことは、案外有効だったりする。一般にいわれている塩なども邪気を払う上では良いかもしれない。

大祓詞を詠み上げるなどもたしかに効果はあるようで、このブログのどこかに書いたような気もするが、後段、「速川の瀬にます瀬織津姫といふ神」などと、祓い浄めの神である瀬織津姫が出てくると、やはり大した浄化のエネルギーだと感じる。

ただ、この大祓詞の文章をよく見てみると、前段に「罪穢れを祓うには天津祝詞の太祝詞を唱えろ」と書いてあるのに、なぜかその「天津祝詞の太祝詞」が後の文章のどこにも出てこない。
この「天津祝詞の太祝詞」が何なのか、国学者の本居宣長以降、いろいろと研究されてきた結論としては、「大祓詞」そのものが「天津祝詞の太祝詞」のことだと解釈されているが、やはり秘伝めいたものは他にあるのだろうとは思う。

ならば祝詞でも呪文でも、一部が欠けたり、間違っていたりしたら効果がないのかというと、そういうものでもないらしい。

高知県物部村、今は香美市に含まれているが、ここに残る民間信仰として、いさなぎ流と呼ばれるものがある。

地元で太夫と呼ばれる宗教者が、昔から受け継がれてきた祭文を唱えたり、舞を舞ったりして、神を祀ったり、病気を治す祈祷をしたりするのだが、その祭文というのが、申し訳ないが文法といい語彙といい、かなり中世っぽいでたらめな感じの内容だったりする。

しかし、それでもなお、こうした祭文に触れると、ぞぞっとするようなエネルギーがあったりするもので、長年祈祷(穢らい消しというらしいが)に使われてきただけのことはあると思う。

これも瀬織津姫ならば清水で一気に洗い流す感じというか、冬の日の身を切られるような寒さをもって穢れが払われる感じというか、そうした感覚があるのに対して、いざなぎ流はもっと重低音を浴びせたような濁りというか凄みというか、力業で来る感じなので、エネルギーの質的なことではまったく異なるといえる。