御百度石について

広告

以前にお百度参りについて、あまり変に効果を期待しないほうがよいのではないかとこのブログの中で書いた気がするが、その趣旨というのは、真剣な神頼みという意図よりも、どうしても願望を達成したいという執着心のほうが勝ってしまって、いわば念のようにネガティブなエネルギーを増幅させるだけの結果に終わりはしないかということだった。

現在でも新しいもの、江戸時代から続いているような古いものを含めて、全国の神社仏閣には拝殿や本堂の傍ら、あるいは参道の石段の終着点などに、このような御百度石が埋め込まれているのをしばしば見かけることがある。

世の中の人はどうも憑依されるというと死人の幽霊ばかりを思い浮かべるが、六条御息所の例を出すまでもなく、生きている人間の念のほうがよほど強力で、取り憑くというか、本来は関係のないはずの人であっても、たまたま波長が合ったためにまとわり付いてくることも珍しくはない。

御百度石なども願掛け専用という共通認識がほとんどの日本人の頭にあって、物理的にもこの上なく明確にシンボルであるだけに、どうやらある種のマイナスの意味でのパワースポット化することがあるようすだ。

だいたいお百度参りをしなければならないほどの願望とは、よほど切羽詰まっている事柄、たとえば借金で明日にも返済しなければならないとか、不治の病にかかって余命いくばくもないがなんとか命を永らえたいとか、想像を絶するほどの苦悩とセットになっているのが普通だろう。

そうであるならば、このような念の漂う場所にやたらに近づいてもあまり良いことはなく、かえって願掛けをした人々、それも多数の人々の苦悩が染み付いたエネルギーを背負ってきてしまい、たとえば病気でもないのに肩が重い、気持ちが悪い、頭が痛いなどの不調を訴えることになってしまう。

このような場合の解決策として、せっかく神社仏閣が目の前にあるのだからお祓い、祈祷でもしてもらうのが一番良いのだが、そうでなければより簡単な方法として、風呂に入ったりシャワーを浴びたりすることが挙げられる。

さすがに今の時代に滝に打たれて禊をして穢れを清めるといったことは現実的ではないはずだが、風呂やシャワーというのはその代替手段として案外と有益なものだ。

コメント