ごのごろあまり意識していなかったが、久しぶりにいつもの第三の眼の映像が勝手に見えてきた。
どうも自分の両手を組んだり握ったりを繰り返しているようで、なかなか忙しい動きだが、それを至近距離から見ている。
遠くのほうではスウェットみたいなラフなかっこうをした人が仰向けに寝転がっていて、なにやらよくわからない動きをしているので、どうもこれはヨガ教室かピラティスの教室のようだ。
あとは等身大の姿見のような、大きな鏡に自分の姿を映している映像を見たが、すぐに消えてしまったので、結局何をいいたかったのかはよくわからない。
夢との違いだが、夢はその世界観にどっぷり浸かってしまって、論理的におかしいことがあっても、すべてがリアルなものに思えてしまう。
たとえば、現実ではありえないのに、自分が羽も何の装備もなく空を飛んでいたり、自分が大統領の地位になってあれこれ指図していたり、身体の一部が勝手に生えてきたりといったものだが、夢のなかではそれが正しいものだと思い込んでいるのが普通だし、映像も臭いも音も、かなり鮮明なものだ。
ところが、第三の眼で見ている映像というのは、意識(顕在意識)がはっきりとしていて、「この映像は何なのか、どこにいるのか」といったことを論理的、客観的に分析しようとすることができる。
しかも、どうも何かのフィルターを通したように粗く、小さな穴から覗いているみたいだし、脳内から声が聞こえることもあるが、くぐもってよく聞き取れないことが多い。
あとは、同じ手の映像にしても、「下から仰角45度で至近距離から」といった、普通の人が写真やビデオを撮影するときにはしないような、かなりマニアックなアングルから映像を送ってくるので、最初は何のことかさっぱりわからず、「もっと引きの画像を送れ」とか「対象にフォーカスを当てろ」といったことをその場で念じて、ようやく何を映しているのかわかるといったのも特徴かもしれない。
こうしたものは、うまく利用できれば、願望実現に必要なものを事前に知るとか、将来の自分の行動や天災などを予知するとか、潜在意識とコミュニケーションを取るとか、いろいろな目的に有効なわけだが、どうも私は応用が苦手で、いまだにあまり活用できていない。