物に宿る波動

骨董品は波動的によくないという話も聞くが、これは投機的な価値を見出された結果、複数の持ち主の間を転々として、その欲得ずくの波動にまみれてしまったということだろう。
しかし、名工といわれるような人が心血を注いで作ったような物であれば、同じ骨董品とはいっても、今でも人の心を動かすだけのパワーを秘めていたりもする。
これは骨董品に限らないもので、作った人、用いた人の思念が強力であればあるほど、物そのものも輝きを増すわけだ。

どこの何という展覧会かは忘れたが、利休七哲のひとりである戦国武将の古田織部が作ったという茶器を見た時に、体が打ち震えるような刺激を感じたことがある。
また、国学を大成させた本居宣長が愛用していたという、細かな書き込みのある古事記の書物を見た時にも、やはり圧倒される何かを感じたりもした。

刀剣類などは、割とそうした体験も多そうだが、元来が人を斬る目的のものであるだけに、場合によってはいかな名工の作といえども、あやしげな念がまとわりついていることもあるので、ちょっと先に挙げたケースとは異なるかもしれない。
刀剣とはいっても、もととも神社に奉納する目的をもってつくられたような、立派ではあるがどう見ても実用に耐えられないようなものは、逆に澄み切った感じ、冴え渡る感じを保っていたりもする。
このあたりも同じ刀でどうして違うのかと不思議なところではあるが、作るときの意識、目的の違いというものが、やはり反映されるということなのだろう。