写真というのはフォトショップなどのツールでいくらでも加工できるもので、心霊写真として取り沙汰されているようなものにもニセモノっぽいものがあったりして、名前と違って真実を表さない、どこか胡散臭いところがあるというのは事実だろう。
ただ一方で、写真がエネルギー的に被写体になっているものとつながっている、あるいは撮影されたときの感情などを映し込んでいるというのもまた事実のようだ。
何の気なしに道を歩いていると、どうも強い視線を感じたのでふと見上げると、そこに拉致問題のポスターが張ってあったということがあった。
怒りとも悲しみともやるせなさともつかないような、何ともいえない表情をした津川雅彦氏のポートレートの傍らに、やや大きめの文字で「拉致」と書かれただけの意匠だったが、おそらく文字などなくても真意は理解できただろう。
このときほど役者の力はすごいなと思ったことはない。
またある神社仏閣を訪れて、建物の中を拝観していたところ、エネルギーを感じたのでやはり見上げると、そこには行幸の際の写真が誇らしげに掲げられていて、館内に展示されている歴史的な調度品などよりも、よほど目立っていた。
今では天皇制反対だなどという人がやかましいが、何にしても天皇という地位は日本固有のもので、やはり万世一系を成り立たせるだけの強い加護が働いているとしか思えないし、それは現在でも有効のようだ。