そもそも「神社に呼ばれる」とは何なのか

「神社に呼ばれる」というのは、「そうとしか言いようがない」というほどの的確な表現なのだが、要するに、自分の意思とは関係なく、どうしても特定の神社に参拝しないと気がすまない感じになってしまうとか、行く気がまったくなかったのに、道を間違えるなどのハプニングが加わって、どうしてもその神社のある場所の前まで来てしまうといったことを意味することばといえる。

「玄関の鍵を締めたかどうか気になって、また自宅に戻って確認しようとしてしまう」という強迫神経症というのはよく知られているが、普段はそうしたことがないのに、ある特定の神社の前を通りかかったときだけ、強迫神経症のように、どうしても参拝しなくてはという気になる、とでもいえばわかってもらえるだろうか。

また、どうしても神社の前に連れてこられてしまうといった場合には、本当に何度トライしても、あり得ないほどのミスを連発して道を間違えるので、自分の意思とはまったく逆行していることになる。きっちりと参拝が終わるまで、自分の意思で決めた当初の目的地には、ぜったいに行かせてはもらえないのだ。

なぜ神社に呼ばれるのか、まだ明確な答えを教えてもらったことがないのでわからないが、遠い先祖か前世でなんらかの関係があったために歓迎してもらっているという説がある。その一方で、神社が枯渇したエネルギーを、呼ばれた人物の生体から吸い取っているのだという物騒な説もある。

ただし、呼ばれる場合には、たとえばたまたま神社の縁日だったとか、神前結婚式が開催されていたといった例もあって、この場合はすなおに歓迎してもらっているか、まあそこまで歓迎されないまでも、にぎやかし要員として適当だぐらいには思ってもらえたと考えてもよさそうではある。

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